Outdoorの保育で 幼児の“生きる力”を引き出す
野外保育 森のいえ・ぽっち代表
松下妙子
深い森の中に、子どもたちの声がこだまする。
富士見町の豊かな自然を生かした、野外保育森のいえ“ぽっち”。
園舎は存在しない。森そのものが遊び場であり、学び舎でもある。
川のせせらぎが、一枚の落ち葉が、一匹の小さな昆虫が。森に抱かれた生命が全てを教えてくれる。子どもたちは、自分たちの力で遊び、学び、得意なものや好きなことを見つけていく。
自然のフィールドが相手だから、予定調和はない。
日々表情を変えていく環境に合わせ、その日のアクティビティーが提案されていく。偶発的な物事に対し、しなやかに対応できる力をはぐくむ。「自然の多様性は子どもたちの発育にとって、言葉では表せないくらいのすごい栄養になります」。自らも豊かな自然と子どもたちにエネルギーをもらいながら、充実したライフスタイルを実現させている。
生命のゆりかごに揺られて レジリエンスを育む
八ヶ岳に臨む広葉樹の森は、さながら“生命のゆりかご”だ。その恩恵を、幼児保育に生かす。「いろいろな命の支え合いで森はできていて、同じ場所に来たとしても何かしらがちょっと違います」。それは木々の枝ぶりや葉の色だったり、気温だったり。天候や地面の表情も、川の水の量もそう。その「違い」を子どもたちは敏感に察知し、遊びに取り入れていく。
「その多様さを人工的に準備しようとすると、とてつもなく大変。それほど多様な体験を、させてもらっているんです」
それと同時に、大切にしていることがある。大人の先入観は脇に置き、子どもたちの好奇心を排除しない――ということだ。
例えばある日。寒くなって落ち葉が目立っていたら、子どもたちからは自然と「焚き火をしよう」という声が起こる。「子どもが火を使うなんて」と構えるのが一般的な保護者の反応かもしれないが、ここでは違う。もちろん大人がリスク管理をしながら、子どもたちが落ち葉と枯れ木を集めて火をつける。
「子どもたち自ら焚き付けを集めます。焚き付けがどんなふうに、どこに落ちているかも全部知っているので、小枝と杉の葉っぱを分けて集めてきてくれて。拾いに行くことがまた遊びになって、遊びで生活の中の労働的なこともやってくれるんです。そこから火遊びが始まるときもあるし、森で拾った山栗をゆでるときもあります」。それらは全て、子どもたちの中から自発的に生まれるのだという。
「その多様さを人工的に準備しようとすると、とてつもなく大変。それほど多様な体験を、させてもらっているんです」
それと同時に、大切にしていることがある。大人の先入観は脇に置き、子どもたちの好奇心を排除しない――ということだ。
例えばある日。寒くなって落ち葉が目立っていたら、子どもたちからは自然と「焚き火をしよう」という声が起こる。「子どもが火を使うなんて」と構えるのが一般的な保護者の反応かもしれないが、ここでは違う。もちろん大人がリスク管理をしながら、子どもたちが落ち葉と枯れ木を集めて火をつける。
「子どもたち自ら焚き付けを集めます。焚き付けがどんなふうに、どこに落ちているかも全部知っているので、小枝と杉の葉っぱを分けて集めてきてくれて。拾いに行くことがまた遊びになって、遊びで生活の中の労働的なこともやってくれるんです。そこから火遊びが始まるときもあるし、森で拾った山栗をゆでるときもあります」。それらは全て、子どもたちの中から自発的に生まれるのだという。
大人は、サポートする役目でさえあればいい。フィールドをあらかじめチェックしておく。心肺蘇生法や応急手当てなどを網羅したアメリカ発の講習プログラムを受講しており、トラブルが発生した場合には即座に対応できるよう知識を備えている。子どもたちには、どのような危険が予期されるかをあらかじめ教えておく。こうして、子どもたちには自由な遊びと学びが約束される。
「偶発的であることがいいんです。予期していないことへの対応をしなければいけないときにレジリエンスが育つし、言葉も増えてコミュニケーションもおのずと増えます。ワクワクする気持ちも育ちますし、本当に自然から頂くものは大きいです」
森を散策しているときもそう。動物のなきがらを見つける。大人なら目を背けたくなるようなビジュアルでも、先入観のない子どもたちにとっては興味の対象。「触ってはいけない」というルールだけ守って、木の棒で感触を確かめたりひっくり返してみたり。
そして、その動物が生きていたストーリーに思いを巡らせる。
「内臓を食べられているよ」
「大きな動物に捕まったんじゃない?」
「お腹のところが膨らんでいるから、何かを食べた後なのかもしれないね」
「母親はどこにいたんだろう?」
「はぐれたのかもしれない」
それもまさに、自然の偶発性がもたらすコミュニケーション。もちろん生命への敬意を払い、最後は土に埋めて簡易的な「お墓」をつくる。
そして、その動物が生きていたストーリーに思いを巡らせる。
「内臓を食べられているよ」
「大きな動物に捕まったんじゃない?」
「お腹のところが膨らんでいるから、何かを食べた後なのかもしれないね」
「母親はどこにいたんだろう?」
「はぐれたのかもしれない」
それもまさに、自然の偶発性がもたらすコミュニケーション。もちろん生命への敬意を払い、最後は土に埋めて簡易的な「お墓」をつくる。
子どもたちが決めて 結果を受け入れる
たとえ自然の中にいても、大人たちのアプローチ一つで反応は大きく変わる。「生きる力を育む」という運営の理念をさらに分解すると、ここでは「自分で考えて行動を決める力」「集団と個の両方を大事にする」という定義になる。
だから、大人は決めない。答えを出さない。お膳立てしない。ケンカの仲裁もしない。
ルールを決めて管理したほうがおそらく大人の負担は少ないけれども、可能な限りそうはしない。「自然環境プラス、人的環境。大人の関わりも大きいと思います。あまり管理的に関わってしまうと、自然の中でも自分で考える機会は少なくなりますから」。例えばケンカが起きたとき、事情は聞く。けれども「どちらかが悪い、だから謝ろうね」ではなく、意見を伝え合う仲介に徹する。どうしていさかいに至ったのかを、会話から探り出してもらう。
「自分で考えて決める領域を作ってあげないと、最終的に何か起こったときに決めた人のせいにするんです。自分で決めて自分で遊んだら、失敗しても自分のせい。すごく悔しそうで悲しそうだけど、『でもしょうがない』って落とし込んでいけます。ケンカが起きても、自分たちで決めたことだから自分たちでケリをつけなければいけないんです」
そもそもフィールドとなる自然は、ちっぽけな人間の力ではどうにもならない領域。それは小さな子どもだけでなく、古今東西の大人たちが叡智を結集してもなお同様だ。「自然の中には自分が合わせなければいけないことがいっぱいあって、ちょうどいい加減を知っていると、もっとみんなが幸せになるんじゃないかなと思ったりします」という。
良質なギアが 思考をシンプルに研ぎ澄ます
さて、胸に手を当てて考える。「幸せとはなんだろうか」と。
ある人にとっては富を得ることかもしれない。
またある人にとっては、名声を得ることかもしれない。
それらはなくても、愛する家族を守ることかもしれない。
幸せの形は、十人十色。思ったもの勝ちだ。「子どもたちがこの先、自分を好きになって『幸せだな』と思って生きて行ってもらえたらいいと思っています。幼児期に生きる力がついていると、どんな試練があったとしても自分の力で幸せをつくっていける子に育つんじゃないでしょうか」と話す。コロナ禍もそうだし、地震や豪雨などの自然災害もそう。「大丈夫だったことが大丈夫じゃない社会になってきている」からこそ、レジリエンスやコミュニケーション能力がクローズアップされる――とみている。
良質なギアが 思考をシンプルに研ぎ澄ます
さて、胸に手を当てて考える。「幸せとはなんだろうか」と。
ある人にとっては富を得ることかもしれない。
またある人にとっては、名声を得ることかもしれない。
それらはなくても、愛する家族を守ることかもしれない。
幸せの形は、十人十色。思ったもの勝ちだ。「子どもたちがこの先、自分を好きになって『幸せだな』と思って生きて行ってもらえたらいいと思っています。幼児期に生きる力がついていると、どんな試練があったとしても自分の力で幸せをつくっていける子に育つんじゃないでしょうか」と話す。コロナ禍もそうだし、地震や豪雨などの自然災害もそう。「大丈夫だったことが大丈夫じゃない社会になってきている」からこそ、レジリエンスやコミュニケーション能力がクローズアップされる――とみている。
こうした理念を実現するために、どんな日でも変わらず子どもたちと向き合う。春夏秋冬。木漏れ日が眩しい夏も、寒さに身が縮む冬も。どんな環境下でもそのスタンスを貫くには、大人たちが万全のコンディションでなければいけない。良質なアウトドアギアも、子どもたちと過ごす上で必要なものの一つだ。
「その季節に合っていて、無理なく体にまとえるものがいいですね。子どもたちを抱っこしたり走ったりもするので、冬にたくさん着込んで動きにくくなってしまうよりは、1枚ずつが機能的でたくさん着なくても済むものがいいです。夏も長袖なので、薄手で通気性が良くて発汗できるアイテムを意識しています」
「その季節に合っていて、無理なく体にまとえるものがいいですね。子どもたちを抱っこしたり走ったりもするので、冬にたくさん着込んで動きにくくなってしまうよりは、1枚ずつが機能的でたくさん着なくても済むものがいいです。夏も長袖なので、薄手で通気性が良くて発汗できるアイテムを意識しています」
森の中でアクティブに動くから、もちろん汚れるし擦れるし傷もつく。だが、良質でタフなギアをチョイスすれば、長く愛用できる。もちろんファッション性があればなお良いが、シンプルでいい。結果的にそれが、子どもたちへの良質な関わりと結び付いていく。
森の中でアクティブに動くから、もちろん汚れるし擦れるし傷もつく。だが、良質でタフなギアをチョイスすれば、長く愛用できる。もちろんファッション性があればなお良いが、シンプルでいい。結果的にそれが、子どもたちへの良質な関わりと結び付いていく。
シンプルで良質なギアを身にまとい、森の中で子どもたちと関わる。生命のゆりかごに揺られて、大人でさえ思考がシンプルに収斂されていく。木を見て、森も見る。
「こういう保育ってなかなか運営も厳しいし理解が進まない部分もあって、やきもきしていた時期もあったんです。でも毎日子どもたちが自然の中で育って、私たちの関わりも影響します。それだけが大事なんだ――と、思考がどんどんシンプルになっていきます」
ただし、思いを巡らせられるのも束の間だ。
「その季節に合っていて、無理なく体にまとえるものがいいですね。子どもたちを抱っこしたり走ったりもするので、冬にたくさん着込んで動きにくくなってしまうよりは、1枚ずつが機能的でたくさん着なくても済むものがいいです。夏も長袖なので、薄手で通気性が良くて発汗できるアイテムを意識しています」
森の中でアクティブに動くから、もちろん汚れるし擦れるし傷もつく。だが、良質でタフなギアをチョイスすれば、長く愛用できる。もちろんファッション性があればなお良いが、シンプルでいい。結果的にそれが、子どもたちへの良質な関わりと結び付いていく。
シンプルで良質なギアを身にまとい、森の中で子どもたちと関わる。生命のゆりかごに揺られて、大人でさえ思考がシンプルに収斂されていく。木を見て、森も見る。
「こういう保育ってなかなか運営も厳しいし理解が進まない部分もあって、やきもきしていた時期もあったんです。でも毎日子どもたちが自然の中で育って、私たちの関わりも影響します。それだけが大事なんだ――と、思考がどんどんシンプルになっていきます」
ただし、思いを巡らせられるのも束の間だ。
「まっちゃん!」
そう。子どもたちはいつだって、ノンストップのフルパワー。ましてや「生きる力」の涵養にフォーカスしているのだから、それもなおさらだ。こうした日々が年輪のように幹を太くし、いずれ大樹へと育っていく。
「まっちゃん!」
そう。子どもたちはいつだって、ノンストップのフルパワー。ましてや「生きる力」の涵養にフォーカスしているのだから、それもなおさらだ。こうした日々が年輪のように幹を太くし、いずれ大樹へと育っていく。
取材協力: 富士見 森のオフィス
八ヶ岳の麓、長野県富士見町で2015年末にオープンしたコワーキングスペース。
元大学の保養所を改装した木造施設には、コワーキングスペース、個室オフィス、食堂・キッチンを備え、敷地内には宿泊棟やキャンプサイトも併設されている。
町への移住促進を目的に設立された同施設には、都心からの移住者や二拠点居住者などが集まり、繋がりの中から様々なプロジェクトが生まれ、これからの新しい働き方を体現する場として注目を集めている。
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