L.L.Beanについて
バックグラウンド
L.L.Beanの歴史
L.L.Bean元社長レオン・ゴーマン(写真中央)。L.L.Beanがスポンサーを務めた1990年のエベレスト・ピース・クライムに向けたトレーニング中の写真。
L.L.Beanのストーリーは進化し続けています。創業当時からアウトドアはいつもその中心にありました。
L.L.Beanの100年以上の歴史をぜひご覧ください。
1911
レオン・レオンウッド・ビーンはメイン・ハンティング・シュー(Maine Hunting
Shoe)を発明。
レオン・レオンウッド・ビーンはハンティングから戻ったある日、ブーツに水が浸み込み、冷たく濡れてしまった足を見て、革命的なアイデアを思いつく。ゴムのボトムに革のアッパー縫い付ける。
1912
レオン・レオンウッド・ビーンは、州外のスポーツ愛好家たちに4ページのパンフレットを郵送してブーツの販促を行い100足の注文を受ける。
残念なことに、成功とはほど遠い結果となる。ボトムとアッパーが離れ、最初の100足のうち90足が返品された。レオン・レオンウッド・ビーンは返金し、問題点を改善し、より多くのパンフレットを郵送した。
1921
アダム・ドナルド・マクミラン氏がエルエルビーン・ブーツを履いて北極探検を行った。
「隊員たちは、北極探検において、ビーン・ブーツがとても実用的だと、大変気に入っていました。秋と春の作業などは格別です。」
1924
レオン・レオンウッド・ビーンは代表作となるフィールド・コートを発売。
発売当時はメイン・ダック・ハンティング・コートMaine Duck Hunting Coatと呼ばれていた。これは瞬く間にハンターたちの人気商品となった。
1927
L.L.Beanのカタログが国内で最も高い評価を受ける。
創業から15年、販売商品もアパレルやスポーツギアが加わり、フルサイズのカタログに進化した。広告業界「Postage」で、米国#1のカタログと評価された。
1933
エレノア・ルーズベルト大統領夫人がフリーポート・ストアをサプライズ訪問。
自ら接客したレオン・レオンウッド・ビーンはファースト・レディに「フィッシング・ナイフを大統領に」と贈り物を託すと、後日、大統領から直筆サイン入りの手紙が届いた。
1934
ジッパー・ダッフルが発売開始。
「フックレス・ファスナー」(別名:ジッパー)と呼ばれる画期的な部品を使ったダッフルは、L.L.Beanの主力製品となった。
1937
不況にもかかわらず、L.L.Beanの年間売上は100万ドルを記録。
有給休暇制度の定着やキャンプ・フィッシングなどのアウトドアブームにも後押しされて、確かな品質が顧客の支持を受け、売上を伸ばし続けた。
1941
ダック・デコイがカタログに登場。
L.L.Bean の発送担当だったジョージ・ソウルは、「自分の方が、断然美しいダック・デコイが作れる」と主張して制作を任された後、一年で何千個も売れる商品となった。
1942
レオン・レオンウッド・ビーンは、著書「ハンティング・フィッシング・キャンピング」を出版。
猛獣狩りや、水鳥から魚など、彼自身の50年に渡るノウハウが詰まった本を出版すると、アドバイスを求める人たちで溢れかえった。
1944
アイスキャリア(別名:ボート&トート)が発売開始。
もともと氷や木材を運ぶように作られたトートのシンプルで飽きのこないデザインは、トートバッグの形の原点となった。今でもメイン州自社工場で手作りされている。
1951
フリーポート・ストアは24時間営業。
レオン・レオンウッド・ビーンは、ハンターたちが狩りに出かける早朝にストアを訪れることが多いことに気が付き、ストアを365日24時間営業に変更、「鍵を捨てた。」と宣言した。
1951
レディース用売り場が登場。
息子の嫁ハーゼル・ビーンと妻のクレアが、旦那たちが釣りの買い物をしている最中に、婦人たちにも何かが必要だと
レオン・レオンウッド・ビーンを説得し、レディース用売り場が誕生した。
1960
レオン・レオンウッド・ビーンの孫、レオン・ゴーマン、後のL.L.Bean元社長が入社。
レオン・ゴーマンは、週80ドルでアパレル・ バイヤーとして雇われた。彼は売り場にも立ち、積極的に接客を行い、会社や商品についてできる限りのことを学んだ。
1960
手作りのフライとルアー、1960年代のL.L.Beanのフィッシング売り場から。
1960
1960年代のL.L.Beanスノーシュー。
1965
代表作「ノルウェージャン・セーター」が登場。
凍てつく寒さから体を守るノルウェーの漁師が使用していたヘビーウエイト・セーターに触発され、誕生。このセーターは瞬時に人気商品となった。
1967
レオン・レオンウッド・ビーンは94歳で逝去。
同社には5万通のお悔やみが届き、365日通年営業だったお店も葬儀の日はお休みとなった。
1967
レオン・ゴーマンが社長に就任。
レオン・レオンウッド・ビーンの逝去後、孫のレオン・ゴーマンLeon GormanがL.L.Beanの社長に就任し、その後、会社の急成長、拡大、近代化を進めた。
1979
アウトドア・ディスカバリー・スクールを開校。
当初は、メイン州フリーポートで冬のアクティビティに特化したプログラムを提供し始め、徐々にアクティビティや開催場所を拡大。
1984
ストアの改装。
25,000平方フィート拡張し、アウトドア・ギアを展示するスペースが増えた。改装時注目されたのは、メイン・ブルック・マスが放たれた池を店内に設置したこと。
1987
カタディン・ロゴが誕生。
L.L.Beanはカタディン湖(Katahdin Lake)周辺の土地をメイン州のバクスター・ステート・パークに寄付した後、アウトドアの美しさを象徴するカタディン・ロゴを紹介。
1990
L.L.Beanはエベレスト・ピース・クライムを後援。
米国、中国、ロシアからの隊員が参加し、世界の大国たちが協力してすばらしい大冒険を成し遂げられることを実証した。
1992
日本初のL.L.Beanストアが開店。
1990年代には、日本からの観光客が毎日のようにバスでフリーポートのL.L.Beanストアまで買い物に立ち寄るようになる。この新しい市場に対応するため、L.L.Beanは東京に3店舗をオープンした。
2000
メイン州以外への初出店。
バージニア州マクリーンに約75,000平方フィートの大型店舗をオープン。十分なスペースを生かし、豊富な商品をラインアップした。その後は、出店を拡大させていった。
2001
創業家以外から初めて抜擢された社長兼CEO。
クリス・マコーミック前社長は、就任期間中にL.L.Beanのインターナショナルビジネス、ウェブサイト、クレジットカード・プログラムを成長させた実績が評価されている。
2006
L.L.Beanは、環境に配慮した「LEEDスタンダード」に従ってすべての建物を建築することを発表。
2007
レオン・ゴーマン・パークを設置。
創業95周年記念の一環として、L.L.Beanはフリーポートの町にこの公園を寄贈した。
2012
L.L.Beanは創業100年を迎え、ブーツモービルを作る。
L.L.Beanは、アウトドアを楽しむという精神のもと、総額250万ドルの寄付を行った。また、ビーン・ブーツを元に作った長さ20フィートの米国版ブーツモービルを製造。以後、米国中を走行中。
2013
ショーン・ゴーマンが会長に就任。
ショーン・ゴーマンは、レオン・レオンウッド・ビーンのひ孫にあたり、伯父レオン・ゴーマンが40年近く取締役会会長を務めた後を引継ぎ、L.L.Beanの取締役会会長に就任。レオンは名誉会長に任命された。
2015
レオン・ゴーマンが80歳で逝去。
レオンは2015年9月3日に逝去。彼のメイン州に対する愛情と広範な慈善活動、そして卓越したリーダーシップは高い評価を得ていた。
2015
スティーブン・スミスがクリス・マコーミック退陣後、L.L.Bean第4代目の社長兼CEOに任命される。
2016
L.L.Beanアウトドア・ディスカバリー・スクールへの参加が15万人を超える。
1979年に発足してから、カヤック、スタンドアップ・パドル・ボーディング(SUP)、キッズ・キャンプ、トレッキング、フィッシングなど、豊富なアクティビティを展開するまでに拡大した。
2017
Be an Outsider 新しいブランド・キャンペーンを展開。
「アウトドアという非日常で得られる喜びを分かち合いたい」。
ハッシュタグ「#アウトドアな休日」で、ぜひ、あなたのアウトドア体験をシェアして、アウトドアの素晴らしさを伝えてください。
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